2017/09/07

46.見つけた!朝顔観察の面白さ

 息子が放り出し、なんとか面白くやれないものかと始めた朝顔の観察。
 これは思わぬ私の楽しみになった。
 私が観察を始めたのは夏休みに入ってからであるから、花が咲き始め、小さなつぼみがたくさんついた状態になっているものであった。
 思えば、ここからスタートしたというのが良かった。

 早起きして朝顔を見に行くと、花はもう咲いている。
 7時はもちろんのこと、6時でももう完全に開いている。
 いったい朝顔は何時に咲くの?まず疑問になったのはそんなことだった。


★ 朝顔はすごい! 一日で10cmも大きくなるつぼみ


 つぼみはごく小さなものができてから、1cmぐらいになるまでは時間がかかる。
 しかし、1センチを超え、少しふくらみが出ることになると、そこからは驚くほど速く成長する。
 朝1~2センチぐらいだったつぼみが、夕方までに一気に10cmにまで大きくなり、翌朝には開花してしまうのだ。

 観察を始めて何日目かの昼、通りすがりに何気なく朝顔をみて私はオヤッ?と思った。
 朝1cmぐらいだったつぼみが倍ぐらいに大きくなっているように見えたのだ。
 私は何だかワクワクして、つぼみの大きさを1時間おきぐらいに測って見た。
 すると、測るたびに大きくなっている。夕方にはもう6cmになった。
 娘にこのことを教えると、彼女も興味を持って測り始めたので、後は娘に任せる。
 夜になってもつぼみは大きくなり続け、子どもたちが寝るころには8~9cmになっていた。
 これはもう明日開くね、早起きして、開くところを見ようねと娘と約束した。
 
 しかし、翌日5時に起きて見に行くと、もう完全に開ききっている。
 えー、咲いちゃったの。あんた咲くの早いのね~。でも次は絶対見るからね。
 次に咲くのはこれかな~。夜までにつぼみがすっかり大きくなっているのを確認する。
 ところが翌日、さらに1時間は早く起きたにもかかわらず、もう咲いている。
 よ~し、こうなったらもう寝ずの番だ。この次は朝まで起きていて、絶対つぼみが開くのを盛るからねと、家族に宣言。すると、それは皆で見ようということになり、息子も交えた親子4人で真夜中の観察会となった。


★ 夜中の観察会


 朝顔の鉢を縁側におき、すぐ隣のリビングルームに布団を敷き、いつでも途中で寝られるようにし、夜食も用意しての観察会を始めた。
 12時を過ぎ、つぼみは10㎝にまでなっている。するとまもなく、つぼみは開き始まった。2時ごろには傘を少し開いた時のようになった。予想以上に開き方は速かった。それから少しずつ少しずつ
開いていき、4時にはもうほとんど全開となった。
 「こんなに早く咲いちゃうんだね」「朝顔ってホントに早起き」「早起きというより寝てない」

 朝には1㎝ほどだった小さなつぼみが、その日の夜までの十数時間で10センチほどまで生長し、翌日の夜明け前までに全開となる。
 一晩寝ずに観察して感じたこの朝顔の成長のエネルギー、まさに感動ものだった。
 「朝顔ってすごいね~」 親子4人共通の思いだった。
 
 残念ながら、この時の写真は上手にはとれず、下に掲載したのは翌年のもの。朝顔は鉢ではなくプランターに植えたものである。


★ 初めは5個だった種が・・・


 息子が学校から持ち帰った朝顔の鉢(苗5本)からは、最終的に1本あたり合計30~40の花が咲き、花1つあたり4~5個の種、計900個の種が取れた。
 最初の種1個からは平均180個の種がとれたことになる。

 この900の種が翌年全部芽を出し、1個当たりまた180個の種がとれるとしたら?
 900×180で、何と16万2千個になる。
 その16万200個の種が、また翌年全部芽を出し180個ずつ種が取れるとすると?
162000×180=29160000 なんと種の数は約300万個になるのだ。

 すごいね。こうやって子孫を残していくんだね。
 植物ってすごいね。
 みんなそうなの?
 さあ、どうかな?

 でも、あまり朝顔ってどこにでも咲いていないね。
 タンポポはさあ、いろんなところに咲いてるけど、朝顔は咲いてないね。
 さあ、どうしてだろう。どこが違うのかな。

 やってみてわかったことから、感動が生まれる。
 そして次の疑問もわいてくる。
 疑問は、探究の出発点だ。


★ 提案 : 朝顔観察は、まず開花から


 学習というものは、何かをわからせるためというより、まず興味・関心を持たせるためにやることだと思う。文科省の指導要領では朝顔の観察により、『植えつけ』『発芽』『開花』『種取り』の過程を経験させ、命の大切さを感じさせることができるというのだが、種を植えてから種取りに至るまでには4~5ヵ月かかる。1年生には結構長い期間である。

その間、定期的に水やりをし、成長の過程課程を観察していく。種の色、形、大きさとか、葉っぱの裏には毛が生えているとか、ツルの巻く方向とか、何のためにそのことを調べるのか、正直よくわからない。そしてだいたいその結果は教科書に書いてある。発見がない。

観察をするのは1年生、67歳の子どもたちだ。その子どもたちに、植物ってすごいな、観察って面白いなと感じさせるには、この観察は地味すぎるのではないか。だから、我が息子のように動くものの方に興味を持ってしまう子や、根気がいま一つというような子には、やらされ感が強くだんだん興味を失ってしまう。
 

そこで提案だが、1年生には、まず『開花』のところから観察させてはどうだろう。
もう翌日には咲くというつぼみがついた段階で観察させるのだ。朝から夕方まで1~2時間ごとに観察し、つぼみの大きさの変化を調べるのだ。何人かのグループで1つの鉢について観察してもよい。測るたびに大きくなっていくのを見ると、驚きと期待感がわきあがる。
明日開花すると確信したところで、そのつぼみに印をつけておき、翌朝早く観察会をし、開花を確認する。盛り上がり具合で、出来れば夜中の観察会をやり、開花の様子をみんなで見たいところだが、無理なら、夏休みに持って帰って家族で観察することを勧めるということでもよい。
つぼみがつくまでの、朝顔は上級生が育てる。前の年に開花を観察した2年生が1年生のために育てるのだ。その育てる過程で、2年生は『植えつけ』『発芽』『開花』『種とり』の過程を観察する。
前の年に開花の様子を観察していれば、そこに至るまでどういう過程があるのかという視点を持たせられるので、観察の世界にも入りやすくなる。
それに、1年生に朝顔の開花を見せてあげようと頑張るのもよいではないか。
最初の観察では、ちまちましたことではなく、まず朝顔という植物のエネルギーを感じさせる。そこで感じた驚きや感動が対象への興味を生み出し、探究の意欲を創出するのだと思う。
生態を観察するのは、それからでよい。対象についての探究意欲が出れば、生態についても観察したくなるのだから。

 
 
 

 







 


 
 


 
 
 

2017/08/08

45 夏休み定番の宿題、朝顔の観察

 
  夏休みに入ったその日、植木鉢を抱えて下校してくる一年生。
そう、朝顔の観察、夏休みの宿題だ。
もう20数年前になるが、我が家の子どもたちもそうだった。
未だに続いているらしい。



▼ 息子の訴え「朝顔の観察は面白くない!」
 
  朝顔の観察は、自由研究というわけではなく、学校の授業で観察していたその続きを家でやるという宿題である。息子の場合は、毎日花がいくつ咲いたかを記録すること、夏休みが終わった時点でいくつ種ができているかを調べること、という課題が出ていた。

 ところが、息子は観察するどころか、持ち帰った朝顔に水もやり忘れるという始末。彼の関心は、朝顔の鉢をおいている庭に行列をつくっているアリの方へと向かい、途中にじゃま物を置くとどう動くか、砂糖をおくとどうか、えさになるような虫を置くとどうなるのかと、いつまでも這いつくばっていた。「だって朝顔の観察は面白くない! アリの方が面白いんだもん」というのが彼の言い分であった。

学校における授業は、いつも教科書に書いてあることの確認だ。低学年の指導にかけては定評があるという担任の教師は、息子の観察ノートに、最初に植えた朝顔の種については、大きくしっかりと描くように、また葉の形や裏に生えている細かい毛、つるの巻き方をもっと正確に描くようにと、そのつどダメ出し。絵の苦手な息子は朝顔の観察に辟易としていた。
 それに続く夏休みの朝顔の観察。息子の気持ちももっともだと納得してしまった私であった。



▼朝顔の観察、なぜ1年生の課題なのか

さて、朝顔の観察は未だに親子の悩みであるようだ。
 ネット上では、朝顔の観察の苦労や、うまく「やっつける方法」、失敗して枯らしてしまった時のレポートの書き方などのアイディアなど、保護者からの情報が満載である。親子で苦労している様子が見てとれる。

1カ月以上の長きにわたる夏休み、その間、朝顔を枯らさずに世話をするだけでも、結構大変な作業だ。小さな鉢植えなど、この暑さでは朝の水まきだけでは涸れ枯れになってしまう。その世話ばかりか、観察も加えて1年生に宿題として出すという意味は、どこにあるのだろうか。

文科省は
・土作りから種まき、発芽、開花、種とり、水かけや支柱立て、様々な色の花、観察記録
など、変化と継続性が楽しめるため、児童は毎日親しみと期待をもって世話を続けていく
・中でも、『発芽』『開花』『種とり』は大きな楽しみであり、児童の喜びや感動も大きい

としている。
 
 しかし実際問題、子どもと親が宿題として出された朝顔の観察に四苦八苦しているという多くの事実がある。動物と違って、植物は子どもが世話している行動に対してその場で反応するわけではないので、愛情を感じにくいというのが本当のところではないのか。

植物の成長には時間がかかる。芽が出る、茎が伸びる、本葉が出る、ツルがのびる、それぞれの段階に到達するまでに1カ月、2か月、そして種がとれる最終段階に至るまでには5か月ほどかかる。その間を、どのようにして1年生が興味を持って朝顔の世話をし、朝顔の観察を楽しませられるか。
その工夫がしっかりとなされないと、せっかくの朝顔の学習が、子どもにとって重荷になってしまうだろう。
 
 
▼子どもに観察・探究を楽しませるために
子ども(大人でも同じだが)が観察や探究の世界に入るには、ワクワク感が必要だと思う。
単に観察行動を経験するための観察、教科書にある内容を確認するための観察では面白くない。かえって観察の世界から遠ざけてしまうことになる。
最も重要なことは、「観察って面白い」と思わせることだ。何か変化が少し見えてきた、でもまだわからないことがある、「もっと知りたいな」という気持ちにさせる。
決まったことをきちんとやるとか、わかっていることを確認するとかではなく、必要なのは、まず知りたいと思うことを育てること、調べてみたいと思う気持ちを育てることではないだろうか。
 
教師や教科書をつくる人は、自分で朝顔を観察したことがあるだろうか。
子どもに観察させるのではなく、自分で自分の朝顔を観察したことがあるだろうか。
自分でずっと観察していて、どういうときにワクワクした気持ちを感じるか、何を知りたいと思うか、どういうときにつまらなくなるか、育てる人たちにはぜひそれを体験し、研究してほしい。
それは私自身の体験からの思いである。息子がほおり出した朝顔の観察、息子の気持ちは認めたものの、せっかく持ち帰った一鉢の朝顔、この観察をなんとか面白くできないものだろうかと、私は自分で観察を始めてみることにしたのである。
 
すると、どうだ。面白くないどころか、これが実に面白いのだ。
こんなに面白くてワクワクするのは久しぶりというぐらい、私は朝顔の観察にはまってしまった。その次の年も、またその次の年も、と観察を続けた。20年以上も前の事だが、今でも楽しい思い出として残っている。
その結果から、朝顔の観察をワクワクしながらやるためには、いくつかのポイントがあるということがわかった。
 
それについては、次の稿で。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017/06/20

44 三階席から見た吹奏楽

★悪い予感


 昨年の5月、市民吹奏楽団の無料コンサートに夫と2人で出かけた。駅から会場のホールまでの欅の並木道を歩いているとき、悪い予感がした。同じ方向に行く人の波が、前の年よりかなり多い気がしたのである。
 案の定、開園からまだ30分以上前だというのに、ホールの1階席も2階席もほとんど満席に近い状態だった。ホールにはまだ次々と入ってきたので、我々は急いで3階に行き、席を確保した。

 市営だが、パイプオルガンも備えた200隻の立派なホールである。三階席は演奏者たちからかなり遠くなるうえ、音質が変わるという懸念があり、吹奏楽好きの夫は不満そうだった。
 しかし、すべての演奏が終わったとき、彼は完全に満足していた。演奏そのものは、トランペットの首席演奏者の音がやや不安定(音楽の質までを問題としていないわたしのもわかる程度)であり、市民吹奏楽団の域にとどまるものであったにもかかわらず、である。夫が満足している意味は私にもわかった、私自身も同じことを感じたからである。

 それはそれまで、単に吹奏楽の一部門としてあるものといった程度に見ていて、それほど重きをおいていなかったパーカッション(打楽器部門)の魅力を新しく感じ取ることができたからである。三階席に座ってみて、はじめてそれがわかったのである。


★躍動するパーカッション


 パーカッションを担当していたのは、私の観察では女性4名、男性2名の6名。曲によって担当が変わり(それにしたがって位置も変わる)、出演の入れ替わりもあるので確かな情報ではないが・・・その6名で、ティンパニー、大太鼓、小太鼓、シロフォン(マリンバ?)、ビブラフォン、シンバル、トライアングル、カスタネット、タンバリン、カウベル(?)を担当する。(私が確認できた範囲である。小さな楽器がもう少しあったようである。)

 6人で10数種類の楽器を担当するのであるから、1曲の中でも、一人が複数の楽器を演奏することがしばしばある。素早く席を移動し演奏し、戻ってくる。その動きは実に無駄がなく、茶道の所作に通ずる美しささえ感じる。私は、曲の演奏を楽しみつつも、次はだれがどう動くのかと待っていた。

★いかに音を止めるか、いかに響かせるか


 打楽器の演奏では、音を止めることを「音切り」というらしいが、この「音切り」が相当に重要ものだということがわかった。ティンパニーの演奏者が乱打した後、素早く身を乗り出して4つのドラムを抑え、音を止める。大太鼓の奏者が、大きく打ち鳴らした後、これまたすばやく打面を抑えて音を止める。管楽器が作り出す次のフレーズに重ならないようにするためだ。
 打楽器は、曲にアクセントをつけるものなのだ。曲を大きく盛り上がらせ、その頂点に達したとこで、さっと次の進行を管楽器に任せる。

 一方、トライアングルやカウベルのように小さな音の楽器はいかに響かせるかがポイントになる。小さくても、管楽器の演奏の中には紛れないリズムと音質とで曲の世界に雰囲気をつくり出すのだ。

 3階席からパーカッションの奏者たちの動きを見ながら演奏を聴くことで、彼らが作り出した音で曲の雰囲気が劇的に変化する実態を体感することができたのである。
 打楽器の意味というか、魅力が感じ取れたのである。

★立ち位置が変わると、視点が変わる

いつもと違う位置から見ると、いつもは見えないことが見える。
 いつもは一階席で、演奏を総合音として聴いていた。
 しかし、三階席からの鑑賞は、演奏を、楽器を演奏する者が創り出すものとして見ながら、聴いていた。演奏を創り出す人たちの世界に少し近づけたのかな、という気がした。
 
 今年も5月に、同じ吹奏楽団のコンサートが同じホールで開催された。
 昨年より人が少なく、1階席に座れてしまった。
 新しい発見はなかった。
 なんだか、少しつまらなかった。
 




 

 







2017/06/19

43 ドクターG、腰痛の真の原因を突き止める(後編)  

 前稿の続きである。
 患者(女性71歳)のどんどんひどくなる腰痛。
 骨、筋肉、関節、内蔵の疾患では説明がつかない。
 ドクターGは、ここで研修医たちにアドヴァイスする。

★脳・神経系に視点を変えて推論


 病態が進行しているわけではないのに、痛みだけ増している。それをドクターGは、痛みの閾値(
いきち:感じ始めるレベル)が下がっている状態であり、そういう病態が進行しているととらえるべきであるという。
 痛みは脳が感じるものである。その脳が、何らかの原因で、同じ痛みでもより強く感じる状態がある。そしてそれがどんどん進んでいると考えるべきであるというのである。

 病気は脳・神経系の病気だ。アドヴァイスを受けて研修医たちが導き出した病気は、疾患が見つからないのに症状が出る身体表現性障害。その中でも全身に強い痛みが出るのが疼痛性障害。心理的な要因で治りたくないという意識が働いているものと考えられており、副作用があるなどとして薬を飲まない傾向がある。
 ドクターGは、問診から得た患者の状況を思い起こさせる。確か患者は、きちんと薬を飲んでいた。運動も毎日するなどして、なんとか治りたいと努力していた。当てはまらない。


★もう一つの症状「腰の曲がり」から推論


 ドクターGは、「痛み」以外のもう一つの症状、「腰の曲がり」から考えるよう、リードする。

 なぜ、曲がっているのか。痛みを和らげるためか?
   →どこにも疾患がない場合、腰を曲げると逆に腰に負担がかかり、痛みが出る。

 骨格の変形か?
   →問診では天井を見ているとまた眠れると言っていた。仰向けで寝ているのだ。
     変形していれば仰向けには寝られない。

 脳からの指令が筋肉に届かないのか?筋肉が委縮しているのか?
   →脳からの指令がうまく筋肉に伝わらなくなる重症筋無力症、筋ジストロファイー。
     これらの病気では背骨を支える筋力が低下して腰が曲がることがある。
    しかしこの患者は、怖い夢を見たとき暴れる(腕や足を振り回す)という。
    筋力が低下し脱力するこれらの病気とは矛盾するので、これも除外される。


★病気の絞り込みのための問診


 考えあぐねた研修医たちに、ドクターが病気の絞り込みのために行った実際の問診の内容が再現ドラマで提示される。

 Q:右肩と左肩でどちらが先に痛くなりましたか?
                                                  A:左
 Q:では足は?                                         A:足も左から
 Q:味やにおいは感じにくくなっていませんか?  
                  A:7~8年前から感じにくくなっている。鍋をしばしば焦がしている
 Q:夜中に目を覚ますそうですね        A:ハッとおきたり、うなされたり
 Q:その時夢を見ていませんでしたか?   A:怖い夢を見た。そのせいで暴れたり叫んだり
 Q:夢はよく見るのですか            A:よく見る。ずいぶん前から

 この結果から、3人の研修医が導き出したのは、それぞれ
   ①大脳基底核変性症  ②レビー小体型認知症  ③パーキンソン病

 ①は、前頭葉や頭頂葉が委縮する病気。筋肉の痛みや姿勢保持障害が出るが、前頭葉や頭頂葉が委縮し活動が弱まり、記憶が再生・合成する機能が衰える。しかし、この患者は、怖い夢をよく見ると言っている。夢は記憶が再生・合成されて起こる現象なので、矛盾する。

 ②は体内のたんぱく質が毒性を持つレビー小体に変質して脳内に沈着することで発症する。筋肉の痛みや姿勢保持障害を伴う。しかしこの病気の中核症状はあくまで認知症だ。鍋を焦がしていたのが認知症だとすると、7~8年もたっていたらもっと進んでいるはず。また、問診時の答え方はしっかりしていて、認知症と感じさせるものはない。

 ③残るはパーキンソン病。注野にある分泌細胞が変性し、快感・意欲・運動調節に関するホルモンであるドーパミンが減少することから起こる。筋肉の痛みや姿勢保持障害などが出る。脳内にレビー小体が蓄積し、②と似通った症状が出る。
 パーキンソン病はレム睡眠行動障害を伴い、発症の5~10年前に嗅覚・味覚の障害が出ることが多い。
 また、ドーパミンは快楽物質と言われ、痛みを抑制する働きも持っている。パーキンソン病の進行すると、痛みの閾値(いきち)が下がっていくために、腰の病態に変化がないにもかかわらず、痛みを強く感じるようになっていると推測できる。
 パーキンソン病なら、患者の様々な症状のすべてに説明がつく。


★患者の観察で診断確定


 そして番組では、ドクターGが最終的に診断を確定した、“患者の観察” が紹介された。                                             

 パーキンソン病には、意識が行っていない方の手などが震える「安静時振戦(あんせいじしんせん)」という症状が特徴的で、病気を確定するには、それがあるかないかの確認が必要になる。
 患者を歩かせて、その様子を観察する。歩いているときには、足に意識が行くため、手への意識が薄れ「振戦」が現れる。最初は緊張しているため出てこないこともあるが、しばらくすると手への意識が薄れ、「振戦」が現れてくるのである。

 ドクターGは、この患者の観察により「振戦」を確認、どんどんひどくなる腰痛の真の原因は「パーキンソン病」であることを突き止めたのである。


★診断の基盤は“構造的思考”、具体的手段は“観察”と“問診”


 ドクターG(総合診療医)たちの診断を支えるのは、“構造的思考”。
 症状を、一つ一つ疾患に当てはめようとするのではなく、痛みやその他の症状が出るメカニズム、またそれらが強く表れるメカニズムを背景にして考えていく。
 メカニズムの違いは、患者の症状に微妙な違いをもたらす。そこに注目して、症状が現れている身体部分の構成要素の疾患なのか、それとも身体症状を左右する脳・神経系の疾患なのかを、構造的に切り分けていく。
 だからこそ、患者の症状をしっかりとらえるための問診を大事にするし、観察を大事にする。問診や観察によって、強く表れている症状ばかりでなく、患者に自覚されていない症状も洗い出す。

 実はこの事例では、ドクターGは観察の第一段階を、最初に患者が診察室に入っているときから行っている。その段階で、すでにパーキンソン病を疑っていたという。患者の腰が曲がっていたこと、付き添っていた娘に帽子を渡した時に、反対側の手にわずかな震えを見て取ったからである。
そのため、最初の問診で、夜眠れるかどうかを尋ねてているのだ。(前稿参照) パーキンソン病の典型的症状であるレム睡眠行動障害の有無を探るためである。

 「診察は、患者が診察室に入ってくる時から始まっている。」
 これは他のドクターGたちにも共通した診断姿勢である。

 パソコン上のデータばかり見て診断する医者たちが増えていく傾向が見えるが、若い研修医、医学生たちにはこうした診断姿勢と、構造的診断能力を身につけてほしい。
 構造的診断力をみがくには、構造的に診断する経験を積み重ねなくてはならない。ある行動ができるようになるには、その行動を経験することを積み重ねなくてはならない。それが脳が新たな能力を身に着けるための学習の鉄則である。

 ドクターGたちの診断行動は、その診断の積み上げ方に大いなるヒントを与えてくれる。


 

 















   



2017/05/18

42 ドクターG、腰痛の真の原因を突き止める


前稿に引き続き医師の診断力について考えてみる。今度は、現実の患者に対する診断である。
 前稿「葵の上はなぜ死んだのか?」の診断結果“エコノミー症候群”については異論を持つ専門家もいるかもしれない。葵上の場合は物語上の人物、物語の記述の読み取り方で判断が違ってくることもあるからである。しかし現実の場合は、患者は目の前にいる。解釈が違うなどとは言っていられない。

 

★名医たちの診断には共通点がある


実在の総合診療医(General Practitionerが患者の病を探り当てる過程を、再現ドラマを交えて見せていくTV番組(「ドクターG」NHK)がある。症状があるのに複数の病院で異常なし、あるいは原因不明と診断された患者が、ドクターGによって真の病気が解明され、治療の結果回復したという例も多数紹介されてきた。そこに登場する多くの名医たちの診断のしかたには共通点がある。
 それは、「広く網をかけておいて、絞り込む」という方式である。そして、広い網掛けのための手段は“問診”である。


★症状が出る条件の洗い出しと、その他の異変の洗い出し


 ある回では、腰痛の真の原因がパーキンソン病であることを解明した例が紹介された。
 患者(女性71才)は、3年程前から痛みが出て、前の2か所の病院ではいずれも加齢による骨粗しょう症と診断された。薬はきちんと飲んでおり、指示通り毎日20分は歩いているが、痛みはどんどんひどくなり、最近は階段の上がり降りも困難という状態である。今は腰も曲がっている。

 患者のバイタルは、体温36.4 血圧130/78 脈拍60/分。特に問題はない値である。
 ドクターGは、まず痛みに焦点を当てて患者と家族に問診をする。

 Q:いつから痛むのか      A:特にこの3年
 Q:どんなふうに痛むか     A:重い痛み。最近はどんどん痛くなっている
 Q:思い当たる原因はあるか  A:いつの間にかっていう感じ

 患者は、2年前に整形外科の診察を受け、加齢のための腰痛と診断された。骨粗しょう症があり、圧迫骨折2か所が確認された。骨粗しょう症の薬と痛み止めをもらって飲み、指示通り毎日20分歩いていた。
 しかし、痛みが増すので1年前に別の医者に診てもらった。診断は同じ。骨粗しょう症と圧迫骨折2か所。別の痛み止めの薬を出してくれたという。

 Q:薬は効いたか              A:最初だけ。またどんどん痛くなってきている
 Q:痛みが強くなるのはどんな時か   A:立ったり歩いたり、身体を動かすとき
 Q:どんな時に楽になるか        A:寝ているときは楽
 Q:痛むのは腰だけ?           A:腰ほどではないが、肩とか足とか
 Q:ここ数年でできなくなったことは   A:家事がいろいろ
 Q:最初にできなくなったのは?     A:洗濯。肩や手が痛くて上がらなくなって
 Q:痛くなったのはどちらの肩      A:左肩
 Q:他にできなくなったことは?     A:絵手紙と、そのための散歩
 Q:朝と夜で痛みは違うかい       A:特に変わらない
 Q:これまでにかかった大きな病気は A:ない
 Q:体重は減っていないか        A:食欲はある。体重は減っていない
 Q:夜は眠れるか              A:夜中に目が覚めることがある
 Q:そのあと眠れるか           A:天井を見ていると眠れる
 Q:寝つきはどうか            A:よい方だと思う

 ドクターGは、痛みの質、痛みの出るとき、楽になるとき、発症の経過などを、患者が自分の身体の状態を自覚しやすいように少しずつ、具体的に質問を重ねていく。結果を整理すると次のようなことが明らかになる。

 骨粗しょう症があり、2か所圧迫骨折があるが、進んではいない。(2年前、1年前とも同じ診断)
 ②労作時(運動や作業など身体を動かすとき)に痛み。安静時には痛みはなく、寝ていると楽。
 ③3年ぐらい前から痛みが増している。
 ④朝と夜では痛みは変わらない。
 ⑤寝つきはよいが夜中に目が覚める。天井を見ているとまた寝られる。(仰向けに寝ている)
 ⑥食欲はある。体重は減っていない。



★痛みの原因は、骨、筋肉、関節、内蔵ではない!

 
 ドクターGは、腰の周りにある要素(骨、筋肉、関節、内蔵)それぞれの疾患をリストアップし、その特質と患者の症状を照合して、合わないものを除外していく。

 まず問診結果①②③⑤⑥から、骨と筋肉の病気ではないと診断。骨粗しょう症は進んでおらず、労作時のみ痛む。食欲はあり体重に変化なしという条件が、いずれの病気とも合致しない。仰向けに寝ているので骨の変形も考えられない。痛みだけが増している。

 からは関節の病気も考えられない。関節の炎症による痛みは朝起きた時に一番強い。痛みは関節に水分がたまることによって起こり、起き上がって関節を動かすと血液循環が活発になるので、水分が回収され痛みが減少されるからである。

 ②⑥からは内臓の病気ではないと考える。内臓の疾患からの痛みであれば、身体の動きと痛みの関係はなく、じっとして痛みがあるはずだからである。

 以上の結果、この患者の腰痛の真の原因は、骨、筋肉、関節、内蔵以外にあると判断したのである。

 

★研修医たちの診断


さて、この番組には、毎回3人の研修医が参加する。はじめに提示される再現ドラマ(発症からの経緯とドクターGの診察と問診の様子)を見て、自分なりの診断をする。その診断結果を精査し、ドクターGとのカンファレンスにより、真の病気を探り当てていくという趣向だ。 

この回の研修医たちが疑った病気は
 2人がA:多発性骨髄腫、1人がB:リウマチ性多発性筋痛症

Aはガンの一種で脊椎や肋骨に発症することが多い。痛みと骨粗鬆症の原因となり、食欲不振や体重減少が起こるが、この患者にはその傾向はない。骨粗しょう症が進めが圧迫骨折が増えていくが、この患者の骨折は増えていない。痛みだけが増悪しているこの患者の症状とは合わない。
Bは筋肉と骨をつなぐ部分に炎症が起こる原因不明の病気。高齢者で全身の痛みを訴える患者に多く見られる。一短期間の間に急速に症状が出るが、あるところまで行くと停滞、この患者のようにどんどん悪化するということはない。

A、Bはいずれも候補から外された。

 

★ドクターGの診断


研修医たちは、主として年齢と腰の痛み、痛みの悪化の度合い、圧迫骨折に注目して診断している。その症状に合致する病気を探し出す。

それに対して、ドクターGの診断は構造的である。腰痛は骨・筋肉系の疾患からくるものか、関節の疾患なのか、内臓の疾患からくるものなのか、またはそれ以外の疾患が原因なのか。それを見極めるために、診察をし、問診をしている。発症してからの経過、痛みの出る時間帯、痛みの出る状況(姿勢や行動)、その他の症状(食欲、睡眠の状態)・・・
 一部の症状から当てはまる病気を探すのではなく、問診で引き出した患者の様々な症状から、どの系統の病気かを振り分けているのだ。その結果、患者の腰痛の真の原因が、骨、筋肉、関節、内蔵以外のところにあると診断、次の段階で真の病気を絞り込んでいく。

  (つづく)

2017/04/13

41 葵の上はなぜ死んだのか?

 ネットで調べ物をしていたら、偶然、表題の面白い記事を見つけた。府中病院総合診療センター長の津村圭氏が書いたものである。「教養としての診断学」という副題がついている。
 “葵の上(あおいのうえ)”というのは、源氏物語の主人公“光源氏”の正妻である“葵の上”のことである。夫にはあまり愛されず、やっと設けたはじめての子の出産後まもなく亡くなってしまう不幸な女性である。


★物語上では、葵の上の死因は恋敵の生霊


 源氏物語の書かれたのは平安時代中期(文献上の初出は1008年)、今から1000年ほど前である。一条天皇の中宮である彰子に仕えた紫式部が書いたもので、当時の貴族社会における物の考え方が読み取れる。医療に関連する記述は複数の巻(章)にあり、当時は、当然のことながら現在のように病気の原因を解明し治療する医学的な手段はなく、加持祈祷が中心であったことがわかる。病をもたらすのは神や霊の怒りであると考えられ、高熱などのためにおこるうわごとや意識障害、せん妄(幻を見たりする症状)などを、神の怒りに触れた、あるいは物の怪に取りつかれたせいだと考えたのである。

 葵の上は、夫の想い人、六条御息所の生霊にとりつかれて亡くなったということになっている。津村氏は、この葵の上の本当の死因を現代医学の視点で解析してみようというのだ。
 津村氏は葵の上の死因をどのように読み解くのか。診断の材料は、物語の中に書かれた事柄だけである。


★葵の上の病状とその経過に関する情報を集める


 津村氏はまず、物語の記述の中から、葵の上の身体的条件t男病気の経過についての情報を収集する。
  1.26歳の女性
  2.妊娠中から体調不良があった
  3.出産時に強い苦しみがあった
  4.出産後には症状は消失していた
  5.出産10日目くらいで急死した
   (3の状況、5の死亡が生霊の性と解釈されたのである。)

 次に、出産と関連して死に至る病として多いものをりストアップする。
  ・逆子(骨盤位)分娩(ぶんべん)
  ・産辱(さんじょく)熱
  ・妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)
  ・周産期心筋症(産褥心筋症)
  ・肺塞栓(そくせん)症
 
 そして診断する。


★葵の上、本当の死因はエコノミー症候群!?


 津村氏は葵の上の死因を肺塞栓症とみる。肺塞栓症は「エコノミー症候群」と言う別名の方がよく知られている。血流が悪くなることによって下肢の静脈などにできた血栓が、血流が回復したときに押し流されて肺動脈に詰まって心臓から供給される血液をとめてしまうもので、しばしば重篤に陥り、時に死に至るという病である。

 別名は、飛行機の狭いエコノミークラスの席に長時間座ることによって、下肢の静脈が圧迫され
血流が悪くなり血栓ができ、機を降りて血流が戻ったとき血栓が押し流されてこの病を引き起こすという例が多く見られたことによってついた。血栓は、血液の状態では、十数時間のレベルでもできるようだ。

 葵の上には、それと同じ状況があったとツムラ氏は見たのである。津村氏は「分娩を経て症状が一時なくなったように見えたのち、急死」したところに目をつける。

○葵の上は陣痛が強く難産だった。それに加えて、妊娠中から体調不良であった。
○周囲は気遣っていつも以上に安静にさせた。葵の上は身体を動かさないようにして過ごした。
○その間に、葵の上の下肢には静脈内血栓(血液の塊)ができていった。
○10日間安静状態が続いたのち症状が回復。葵の上は源氏に手紙を書こうと立ち上がった。
 そのとき不幸にも、その血栓が下肢の静脈から外れた。
○血栓は血流にのって心臓に到達。右心房左心房を経て心臓に到達。

 津村氏は、葵の上の死の状況をこのように推測し診断したのである。
 能の題材にもなった六条御息所の情念のすさまじさの正体が、実はエコノミー症候群であったというのは驚きの推論であるが、確かに妊娠中は、胎児によって腹部の大きな静脈が圧迫されて血の流れが悪くなるので、静脈血栓症の危険性が高くなることが知られている。
 平安期における貴族階級の女性は、その生活の状況から考えると運動不足で、第二の心臓と言われる脚の筋肉は十分ついていないことが考えられ、ただでさえ血行は悪かったであろうし、食生活が偏っていて病気がちであったと推測されているということも考え合わせると、納得の診断結果である。

★医師の診断意欲と診断力

  しかし、この診断結果以上に私が感心したのは、物語の中の病人にまで向かう津村氏の診断意欲である。意欲というより、それはもはや行動習性になっているのかもしれない。病人がいれば、その人はなぜそうした病を発症したのか、原因はどこにあるのかと、と思いを馳せてしまう。

 病気を引き起こす原因は実に様々なものがある。診断のためには、患者の体質や生活の状況、そして病を発症するまでの経緯の把握が大変重要になる。食生活また生活習慣に問題はなかったか、大したことはないと思っている小さな事故や異変はなかったか、そこに至った状況はどうであったか、それらの中に病の原因が潜んでいないか、というように。

 しかし現実には、そうした情報を引き出さないままに、患者の訴えや表面に現れた症状のみで診断が下される場合が多い。私自身、医師の思いこみからの誤った診断のため、あやうく命を落としかけたという経験があり、、医師にはしっかりした診断力を持っていてもらいたいと願っている。その意味からも、たとえ物語上の患者であってもきちんと診断しようという津村氏の“診断意欲”を素晴らしいと思うのである。世の医師たち、医学生たちにも、ぜひこの“診断意欲”を持ってもらいたいと思う。

 津村氏の診断に対する意欲は、診断行動の積み重ねから生まれたものだと推測される。脳科学的には、ある行動に対する意欲というものは、その行動をすることによって強まると考えられている。失敗であれ、成功であれ、行動することが鍵になる。失敗をすればその失敗を修正したいという欲求が起こり、成功すればその快感によりもっとやりたいという意欲が生まれるからである。
 この診断意欲の上に、診断能力が築かれる。その能力をみがく上でも、失敗を修正するという行動が大きな意味を持つ。診断能力を高めるための最も効果的な手段となる。自分の診断に何が不足していたかを最もはっきり知ることができ、その改善の方向をつかむことができる経験だからである。
 
 次は、診断行動の積み上げ方について考えてみたい。

 













2017/02/14

40 学びて思わざれば即ち罔し

◆孔子、脳の働きに迫る?


 2500年ほど前の中国春秋時代の思想家孔子の言行を、弟子たちが記録した書物「論語」に「学而不思則罔、思而不学則殆」という言葉が残されている。「学びて思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」と読む。
 「せっかく学んでも、自分で考えてみないと知識は確かなものにならない。自分一人で考えるばかりで他から学ぶことをしなければ、独りよがりになって危険だ」という意味である。

 孔子の時代、もちろん脳の働きは解明されていなかった。 しかし、「学びて思わざればすなわち罔(くら)し」という言葉は、まさしく次のような脳の働きを言い当てている。
   「行動したことが、行動の記憶として成立する」 
 脳は、脳が働いたときに興奮した回路の状態を記憶として残す。脳の働き方(どの回路がどのように興奮するか)は行動のしかたでちがう。行動のしかたを耳で聞いた時の脳の働き方と、実際に自分で考えた時の脳の働き方は全くちがうのだ。つまり、考えるという行動は、自分で実際に考えることによって、はじめて脳の働きとして形成されるということである。

 人の話を聞いたただけで、自分で考えることをしなければ、その内容は本当には身につかないし、自分で考えるという行動も身につかない。孔子が、教育者としても多くのすぐれた弟子を育てたことは有名である。その過程における人間の行動とその結果とをよく観察分析して、その関連を整理し、学習の本質(脳の働き方)をとらえたのだと思われる。
 しかし、孔子ならずとも、行動体験を分析整理すれば、脳の働き方に迫ることができる。

◆理系学生3人の会話


 次に示すのは、インターネットブログで展開されていた実在の理系学生3人の会話の一部である。彼らは、自分の経験を整理して、脳の働き方に沿った学習の仕方に迫っている。

 講義を長年聞いてきて思うのは、「教師が黒板に書きながら話し、それを学生が黙々とノートを取るという方式は果たして有効なのか?」ということ。
  物理学をやってきて実感したのは、自分のペースで考えないと理解できないということだ。
  ほんの1ページを理解するのに数時間かかったり、たった1行の数式を理解するのに数十分考えることだって珍しくない。
  どんどん進む教師の話をリアルタイムでは考えられない。
 それはまさに、数学において私も実感している。
 黒板に書かれたものをノートに写していると、教師の話を聴く余裕がなくなり、考えるどころではない。
  他の人はノートを取りながら考えられるの?
 いや私も同じ。一方的に話す講義方式は、学ぶ側にとっては考える時間が全く足りない。
  質問を受けつける時間はあったが、どこがわからないのかわからない状況では質問自体できない。
 講義でも、その場で理解できるものがないわけではないが、学習方法として講義が一番すぐれているとはどうしても思えない。
  「演習」とか「実験」とか、学生が主体となる方法がいくらでもあると思う。
  すくなくとも物理、数学に関しては、「演習」や「実験」を中心戦術に採用すべきじゃないのか。

 彼らは、会話の中で、中学から大学まで、記憶にある限り、「授業の中心は講義を聴いて板書をノートに書き写す行為」だったと述懐している。そして教師たちがそうした方法を取る理由は「教える側にとって楽な方法だから」「学生がわかっていなくても終了できる」からだと読んでいる。「学生主体の演習や実習では、自分の都合で終われない」からだと言うのである。さらに、講義形式にするのは、「効果的な授業方式を考え付かない教師たちが、惰性で続けているだけ」と手厳しい。

 また、最近のパワーポイントを使った授業は「板書以上に問題」という。書く手間がない分、(授業を進める)テンポが速くなるというのだ。次々変わる画面とともに話が展開し、内容が頭に残らない。表やグラフ、図解がカラフルに表示できるので、「一見進んだ講義技術のように見えるが、学習効果からは逆」と断じている。

 教師の本来の仕事は、学習者に学び方を習得させ、自分の力で学べるように育てることであるはずだ。板書を書き写させるだけのことでなく、学習者たちの脳を活発に働かせるような授業をしてもらいたいものだ。
 それには、3人の学生たちのように、学習者の立場になって考える、自分が新しい考え方をものにしたとき(あるいはものにできなかったとき)、どのような行動をしたかを、振り返ってみる必要がある。