2007/08/03

9 グループ学習の脳行動学的意味

 脳の学習の原則は、「行動をしたことを学習する」ということ。 行動したときに起きた「脳の神経細胞間の刺激の連絡関係の状態」が残ったものが記憶である。その記憶が蓄積され、関連づけられ、組み合わせられていくことによって、人間は様々なことが理解できるようになるし、新しい行動を生み出していくことができる。そうした脳の学習のしかたと働き方に対して、グループ学習はどのような意味をもっているのだろうか。

●主体的活動が主体的姿勢を育てる
 グループ学習の一斉学習との最も大きな違いは、学習活動を学習者が主体的に進めるということである。主体的な行動を積み重ねることによって、主体的な行動姿勢が育っていく。活動がうまくいった場合とそうでない場合とでは違いがあるが、それでも一斉学習に比較すれば格段の差である。
 一斉学習ではその展開の条件から、教師が主導することが多く受動的な学習活動が多くなる。受動的な行動を続ければ、脳は受動的な行動のしかたを学び続けることになる。小学校から大学まで講義中心の一斉学習方式で育てられてきた日本人が、主体的な行動力が不足している理由はここにある。

●脳の働き方が多様である 
 脳は、他への働きかけが多いほど活性化し、複雑な働き方をするほど発達する。
 多人数の一斉学習では、多くの場合20%程度(30~40人クラスなら6~8人)の反応で授業が進められていく。残りの学習者が主体的に活動せず、教師の話をただ聞いているだけでも授業は進んでいき、その場合の学習者の脳の働き方は非常に単調でしかも少ない。
 一方、グループ学習は生徒相互間の共同関係を意図した学習であるから、1つの課題に生徒たち自身が共同して取り組むという形がとられる。調査や実験をして,その結果をまとめ、表現する、といった多様で複雑な学習活動になり、グループが少人数であるほど各自が行う行動の種類と機会とが多くなる。

●共同することで脳が育つ-分類し総合する力,人間関係力
 一つの課題を共同して行うには、分担,総合,協力といった活動が必要になる。分担し総合する過程では、全体をとらえる行動、要素に分ける行動、それらの関係を整理する行動などが行われる。これらはものごとを構造的に見るという行動であるが、これにより、脳はものごとを構造的にとらえることを経験する。
 また、具体的に行動実施するためには、コミュニケーションが欠かせない。それは言葉だけのコミュニケーションではなく、自分や相手の行動とともにあり、行動を成立させるためのコミュニケーション行動である。どのように共同するか、分担するか。それぞれが調べたことをどうまとめるか。自分の考えを相手にわかりやすく伝える、相手の話を聞き(聞き出し)考えていることを読み取る。意見が異なる場合いはそれを調整することも必要になる。互いに仲間の発言や行動を観察し、意図するところを読み取り、協力の仕方やそのタイミングを計らなければならない。
 そうした行動の中で学習者は、試行錯誤しながら全体の中での個のありかた、個の総合としての全体のあり方を経験していくことになる。そして、経験したことを、脳は学習する。多人数での一斉学習の場合でもこうした行動がないわけではないが、数人が発言してあとは多数決で決めたり、誰かが代表で実験や発表をし、残りはそれを観察するというような形になったりして、学習者それぞれの行動の量と質はグループ学習に遠く及ばない。

●教え合うことで、理解が深まる― 記憶の再構成,問題意識に位置づいた学習活動 
 グループ学習における「教え合う」という行動が、内容の理解を互いに深めあうという効果があるとして、今注目されている。(「教え合い」を特に意図したグループ学習を「協調学習」という名で呼んでいる。)
「教える」ということは、相手の疑問に応じて、自分のとらえていることを伝え、理解させることである。そのためには、相手がどう考えているのか、何がわからないのか、をつかまなくてはならない。その上で自分がとらえていることや理解の土台になっていることを整理し、相手が理解できるやさしい言葉と論理で説明しなくてはならない。相手の状況によって事例を示したり、具体物を使ったりして説明しなくてはならない。(その過程は、より本質的な理解と具体的なとらえ方が必要であることや、しばしば自分もよくわかっていないということを自覚する場ともなる。)
 説明を受ける側は、教えてもらった内容と自分がとらえている内容とを比較し、抜けている部分違っている部分を修正していく。この過程で、教える側教えられる側、双方の脳の記憶は何度も繰り返し引き出され、関係付けられ、再構成される。それだけ脳の神経回路が働くということである。脳の神経回路は働くほどその働きがアップする。反応しやすくなる。
 また、この「教え合う」という行動は、教師から一方的に与えられるものではなく、自分たちの疑問や問題意識にあわせて行われるということが、脳が働きやすい条件にもなっている。自分たちが行動した結果(実験結果や、調べたこと)や、目の前の具体的な事実や教材を材料として行われるため、記憶情報がネットワーク化(関連づけ)されやすいのである。忘れにくい、確かな記憶になるということである。

●チャレンジする力を育てる
 難しい課題に挑戦できないのはほとんどの場合、失敗に対する恐れのためである。しかし、1人ではできないそうもない気が重くなるようなことも、3人4人と仲間がいれば何とかなるかもと第1歩が踏み出せる。がんばればやれそうだと感じたとき、脳は最も活性化する。グループそのものに脳を活性化する条件が備わっていると言ってもよいかもしれない。
 グループで取り組む場合、失敗しても仲間で痛みを分け合うことができる。もう1回やってみようと励まし合う。なかなかアイディアが出なくて苦しいとき、1人がへこたれても、別の誰かが頑張ってやる。その頑張りを見て自分もやるぞという気になる。チャレンジするエネルギーが出てくる。
 この学習過程がよい、とグループ学習を体験した学習者たちは言う。苦労しても、教えられるのではなく、自分たちの力で掴み取っていくというところに充実感があり、だんだん面白くなっていく。チャレンジすることの面白さ、楽しさをつかめば、脳はそのことを避けることはしなくなる。脳は、本質的に自分にとって好ましい方向に働こうとする。それは生存のための本能だからである。
 チャレンジすることで、チャレンジ精神は育っていく。グループでの課題挑戦は、個々のチャレンジ精神をも高めることになっていく。

●経験の共有,感情の共有
 グループ学習では、学習者たちが同じ経験を共有することになる。その同じ経験を土台に考えることになるので、互いの意図するところが理解しやすい。
 また、単なる経験だけではなく、それに伴う感情を共有する。感情は行動したときに起こる脳の働きの1つである。同じような経験をしていないと、言葉でいくら説明しても本当には理解できない。「グループ学習は楽しい」と学習者は言う。集まってわいわいやるから楽しいという意味ではない。苦労しても、つらい学習であっても、いや、だからこそ楽しいというのである。学習活動を進めていくための苦労や、失敗による挫折感、そして成功の喜び。失敗を克服することができれば、失敗せずにできたときより嬉しい。そのときの苦労や喜びを分かり合える、語り合える仲間がいるということが大きな喜びとなる。

●グループ学習を進めていく力は、グループ学習の中で育てる 
 グループ学習の効果は大変大きい。学習内容を理解するという面は言うまでもなく、社会の中で行動していくための力 (主体的行動力、コミュニケーション力,人間関係力,チャレンジ精神etc.)を磨くという意味からは、まさに不可欠な学習活動のしかたといえよう。
 しかし、グループ学習は最初からなかなかうまくはできない。グループにしさえすればグループ活動が成立する、というわけではないのである。なかなかうまくできないから講義式でやる、その方が早く進む、という指導者がいるが、それは間違いである。進んでいるのは指導者であって学習者ではない。学習者をいかに行動させ、行動のしかたをその脳の中に成立させていくかということが、学習の目標にならなければならない。
 グループ活動がうまくできないからこそ、グループ学習をさせなくてはならない。グループ活動は、グループ学習の中でその行動のしかたを練習し修正していくことによってしか、できるようにならない。目標行動の提示の仕方や教材の作り方の工夫、アドバイスやヒントの出し方、そこに指導者の力が発揮されなくてはならない。

8 長く見る,じっと見る

 NHK総合TVに「課外授業ようこそ先輩」という番組がある。各地の小学校の6年生1クラスに、いろいろな分野で活躍しているその小学校を卒業した先輩が授業をする様子を描くドキュメンタリー番組である。06年4月、その日の先輩はアートディレクターの長友啓典さん。アートディレクターとはひと言で言うなら広告制作の現場監督。伊集院静の小説の挿絵や装丁、各種広告制作で活躍している人である。後輩は大阪市常盤小学校の6年生。
 長友さんの子どもたちへ課題は、長友さんが準備してきた「TOKIWA」のロゴ入り用紙を使ってのポスター制作。常盤小学校と常盤小学校に通っている自分たち、そして常盤小学校がある町、それをアピールするポスターの制作である。この課題の中で、長友さんが子どもたちの心に、表現したいことを沸き上がらさせていくプロセスをカメラが追う。

 長友さんは授業開始後すぐさま子どもたちを通学路に連れ出す。そして、どこか気になるところを1か所選んで10分間見続けるようにと言う。ぼんやり見るのではなくじっと見る。そのうち心に浮かんできたことがあったら、それを文字に書く。絵は描かない。書いていいのは文字だけである。
子どもたちは始め戸惑っている。何を見たらよいのかわからない。どう見たらよいのかわからない。とにかくじっと見ているように言われ、見続ける。しかしそのうち、子どもたちの心にはいろいろな思いがわきあがってくる。見えてくるものがある。

「何を見ているの?」「どうしてここを選んだの?」 長友さんはその様子を観察しながら子どもたちに質問する。
「道路にひびが入っている。古い道なんだなーって思った。」
「この細い道の向うに私の家がある。だから大好きなの。」
「このお店(床屋)ずいぶん長いことあるなあ。くるくる回る三色の看板、古いけどおしゃれな感じ。」
「ここに来るといつもおいしい(パンの)匂いがするんだ」
「緑が多くて静かだから、大好きな道。でも今は、工事中で通れないので悔しい。」
 毎日一瞬で通り過ぎていく場所を、長く見る、じっと見ることで、他との違いを発見し、自分の思いに気づき、以前の経験が引き出され、そして新たな発見をする。教室に戻った子どもたちは、メモをもとにわが通学路をポスターとして描き始める。
「その絵においしい匂いが表現できない?」「通れなくて悔しいという気持ちを表してごらん」長友さんの言葉に刺激され、子どもたちはそれぞれ自分の心にわきあがった思いを表現していく。街角の上空に浮かんだクロワッサン、緑の小道の入口に立てられた「工事中立入禁止」の看板、光輝く町へと続く細い道、画面3分の1もの大きさで鮮やかに描かれた理髪店の3色ポール・・・・・・。 「絵って自分の気持ちを表現するものなんだね。今まで絵はきらいだったけど、好きになった。」しみじみと子どもが感想を述べる。

 じっと見る。同じ「見る」でも、「ちらっと見る」ということと、「長く集中して見る」ということでは、脳にとっての刺激の質が違う。強い刺激とも違う、長い刺激。脳学者の茂木健一郎氏は「脳は忙しいと考えられない」と言う。脳の中のネットワークに信号が伝わりいろいろ活動するには時間が必要なのだそうだ。同じものを長く見るというのは、その刺激を材料として考える時間を十分に脳に与える、ということなのであろう。
 そして、見たことをすぐに絵に描かないで、言葉でメモするということの意味。絵を描くことと、言葉で表現するということとは、脳としての活動のしかたが違う。見たことをすぐ絵に描くと、単なる写生になってしまうことが多い。脳の働きが、目からの情報と手を動かし絵を描く行動を関係づけることに向かうからである。しかし、見たことを言葉でメモをすると、それによって感情やイメージが大きく深く膨らむ。われわれは生活の中で、言葉を使って考えや感情を整理してきているからである。

 長い刺激は思考を深める。しかし「ちらっ」という見方では脳が働かないかというと、そうではない。ちらっと見るという刺激で働く働き方も、脳にはある。また、1ヵ所だけをじっと見ていたのでは見えない、大きな広がりをざっと見ているからこそ見える、比較するから見えるということもある。毎日自転車で行く通勤路。1ヵ所1ヵ所は一瞬で通り過ぎていくが、その積み重ねで見えてくるものがある。雑草の種類と分布、花の開花と温度や日照の関係、道行く中学生高校生の歩き方や服装に見えるそれぞれの学校の指導力・・・、まだまだいくらでもある。

 脳は、刺激の与え方でいろいろな活動のしかたをするということだ。 刺激の与え方と脳の働き方,働かせ方。そういう視点から学習のしかた(させ方)、行動のしかた(させ方)を見直してみるということが必要ではないか。