2016/12/14

38 三人の大学教授の話


■白洲次郎が師事したケンブリッジ大学の指導教授

 白洲次郎(19021985)というのは、終戦直後吉田茂の側近としてGHQと渡り合い、「従順ならざる日本人」と言わしめた男である。本来は実業家であるが、イギリス留学時代に親交を得た吉田茂に請われ、終戦連絡中央事務局の参与となり、以後、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任した。終戦時期を描いたドラマにはしばしば登場し、NHKの吉田茂が主人公であるドラマ「負けて勝つ」の中にも登場している。
 その白洲次郎のイギリスのケンブリッジ大学留学時代のエピソード。
 「自信がある。間違いはない」と提出した論文を、ケンブリッジの指導教授から「評価に値しない」とつき返される。納得がいかない白洲は教授になぜだめなのかを尋ねる。教授は言った。「君の論文は、私が教えたことを、そのまま繰り返しているだけだ。そういうのを論文とは言わない」そして、次のように続けたという。
 「まず(私の考えを)否定せよ。そして、そこから考えよ。」


■東京帝国大学海後宗臣教授

海後宗臣(かいごときおみ)氏は父の恩師である。東大教育学科が学部に昇格したその初代学部長、長らく教育学会長を務めた。教育史家と位置付けられているが、むしろ日本の教育学の基礎を打ち立てた人といった方がふさわしい人である。その海後宗臣教授の助教授時代のエピソード。(昭和10年代)
 大変まじめで1回も休まず海後助教授の講義に出席していた父の友人に、あるときたずねた。
「○○君、君は大変まじめに私の講義に出ているが、君自身の勉強は進んでいるのかね。」

■或る教授

多分、新聞のコラムで読んだのだと思うが、どこかの大学の名前はわからない或る教授の話。コラムの執筆者が学生の時の、その教授のオリエンテーションから3時間目までの講義での体験である。
 オリエンテーションの時に、その教授は、自分の講義の内容の概要と使用するテキストについて説明し、1時間目はテキストの1章をやるので「予習して来るように」と言った。
 そして1時間目。教授は学生たちに「予習してきましたか?」と聞いた。誰も手をあげない。教授は言った。「では帰ります。次はもう1回1章をやります。予習してきてください。」

 2時間目。教授は学生たちに「予習してきましたか?」と聞いた。ほとんどの学生が手を挙げた。「何か質問はありますか?」誰も手をあげなかった。教授は言った。「では帰ります。次は2章をやります。」

 3時間目。必死になって2章を勉強した執筆者は、教授に質問した。教授は懇切丁寧に、執筆者の質問に答え、自分の考えるところを話した。そして言った。「ほかに質問は?」質問する者はいなかった。「では帰ります。次回は、3章をやります。予習してきてください。」
 
 3人の教授がその行動で示しているのは、学問とは基本的に研究でなければならないということだ。大学は、他の人の論をただ取り込むための場所ではなく、自分なりの考えを築くところだということだである。教授とはそのための道筋を示したり、アドバイスを与えたり、論を戦わしたりして導くためにいるのであって、知識を伝えるためにいるのではない。学生が、いかに自分自身の頭で考え、自分なりの考えを構築していくような場づくりをするかが、教授の力だということだろう。

37 親の役目


切抜きを整理していたら、こんな記事を見つけた。2015913日の毎日新聞である。

▽「マッチを使える」小学生は、全体の18.1%で、20年前の58.9
 ▽「包丁でリンゴの皮をむくことができる」は10.1%(20年前は36.3%)
 ▽「缶切りで缶詰を開けることができる」は、20.7%(同50.7%)

昔の子どもはできたのに今の子どもは出来ない。生活能力が低下してきている、といったようなものだった。
 

20年前の授業参観で

 

娘が4年生のときの授業参観。理科「熱伝導」、16人での実験。金属や木を温めて、熱がどう伝わるかを観察する実験。金属板の上のチョコレートがどう溶けるかを観察するなど、なかなか工夫された楽しい授業だった。板を温めるのはアルコールランプとガスバーナー。着火はマッチだった。
 ところが、娘の班ではマッチを使えたのは6人中1人でうちの娘だけ。他の5つの班も似たようなもので教師は大わらわで各班を回って指導していた。およそ20年前のことである。我が家は周囲にまだ畑の残る都会の郊外に属する地域、ここではすでに20年前からそんな状況だった。
 

使えないのは使わなくなったから

 

マッチが使えないのは、マッチが日常生活ではほとんど使われなくなったからだ。線香に火をつけるときぐらいだろう。花火のときだってマッチを使わない。多くの家では“チャッカマン”なるものを用意している。先端の長いライターで、液化ガスと電池を内蔵し、手元のボタンを押せばガスが出て点火するという、安全に火をつける道具である。我が家にはこの着火なるものは備えていなかったので、娘にはマッチを使う機会があった。そのため、マッチで火をつけることが出来たわけである。最近は集合住宅に済む人が多くなり、煙が迷惑ということで各戸での花火遊びはなく、多くの公園でも花火は禁止、マッチとはますます縁がなくなった。

缶切りが使えなくなったのも、缶切りを使う機会が減ったためだと考えられる。最近は缶切りがなくても開けられるようにと、プルトップ式でふたを開けるタイプのものが多くなっている。缶切りというものの存在を知らない若者も増えてきているようだ。
 

使えないのは使わせないから

 
使えないもう一つの理由は、使わせないということである。10%しかできないというリンゴの皮むきはそれだ。ピーラーという皮むき器もあるが、これは切り分けられることが出来ない。ナイフは1つで切り分けも皮むきもできる便利な道具である。皮むきの対象となるのは、リンゴだけでなく、梨も柿も、ジャガイモもサツマイモも、一つできれば、その応用でいくつにも広がる。

食事作りは毎日のこと。ナイフは使う機会も対象もたくさんある。それなのに出来ないということは、親が子どもに経験させていないということである。ナイフを持たせては危険だからと、親が剥いて与えているのである。しかし、ここで考えたい。親の役目とは何か。怪我をさせないように育てることなのか、それとも怪我をしないような道具の使い方を工夫する能力を身につけさせることなのかと。
 
 

親の役目、親の仕事

 
子どもは「育てられる」というより、与えられた環境の中で「育っていく」ものなのである。それも経験したことに応じての育ち方をする。人間の「脳―神経系」は、経験したことすべてを脳―神経系の回路に記憶して、それらを関係づけ構造づけて、自分の働き方を作っていく。だから、一人ひとりその経験の違いによって記憶していることできることが違ってくる。
環境の中で様々な観察をし、さまざまな経験をして、脳神経系の中に行動の仕方を蓄積していくのである。試行錯誤し、自分なりに判断し行動する、行動の結果が失敗であれば、その原因を分析して間違いを見つけ修正する。そうした行動経験に応じて、行動の記憶が形成され、行動する力となっていく。すべて準備されて、ただそれを待っていて受け取るだけの経験しかしなければ、そういう行動のしかたが記憶され形成されてしまうのである。
親の役目は子どもを自立させること、一人で生きていく力をつけてやることである。どんな環境を作りどんな行動経験をさせるかを考え、そういう場・機会をつくり、子どもの行動を見守る。それが親の仕事だ。
 
 
 
 

 

2016/11/01

36 運動の法則-長く続かせるための3か条


力学の話ではない。やるべきと考えたことを世の中の人に伝え、大きな動きとするための活動の仕方のことである。紹介するのは、反原発運動を展開している弁護士河合弘之氏の「運動の法則」。
 
 河合氏は今、自ら監督した反原発の映画「日本と原発」(2014年)、2015年秋に完成した2作目「日本と原発―4年後」を引っさげて日本国中を講演して回っている。弁護士の河合氏がなぜ映画を作ったのか。それは、名前を公表して“反原発”の映画を作ってくれる人がいなかったからだ。依頼した監督、カメラマンに皆断られた。政治的な圧力がかかり仕事が来なくなってしまうというのだ。仕方がないので河合氏自身が監督することになったのだ。実際には、映画製作には多くの人が関わっている。カメラマンも脚本家も編集者もいる。映画のクレジットタイトルには大勢のスタッフ名が連なるが、監督の河合氏、構成・監修の海渡雄一氏(反原発で河合氏と共に闘う弁護士)、製作協力の木村結氏(東電株主代表訴訟事務局長)の3人以外はみな仮名であるという。
 「日本と原発」映写会、映画の後には漫談のような講演をする。河合氏はそこで「運動の法則」を説く。


          
    
 
第1の法則:「明るく楽しくやる」

こうした運動をやる人は一生懸命なのだが、概して悲壮感がある。原発反対をテーマとした映画はいくつもあるが、みな暗い。見ていると気が滅入ってしまう。これではダメだ、続かない」と河合氏は言う。確かに、人間の脳は「快」に向かって行動する。やっているそのことが、面白く楽しくならなければ、なかなか活動は続かない。しかしどうしたら、深刻で難しく大変なテーマについて、明るく楽しく運動できるのか。

 
第2の法則:「レベルは高く、しかし、わかりやすくやる」


心情だけで動くのではなく、科学的なアプローチをすること。問題の原因がどこにあるのか。どうしたら状況を変えられるのか。本気で勉強し調べて明らかにしていくこと。それが河合氏の答えだ。本気で勉強し調べて行くと、問題の本質や背景がだんだんわかってくる。何をめざし、どう行動していくべきか、だんだん先が見えていくようになる。そうすると希望が生まれ、明るく取り組めると河合氏は言う。

原発訴訟で闘う河合さんは、運動の方向を「裁判官を説得すること」と見定めた。かつての原発訴訟では原告の訴えはことごとく退けられた。しかし福島の事故で、裁判官たちも原発の恐ろしさを思い知ったはず、国の論理のみで原告の訴えを退けるという姿勢はもう許されない。原発の本当の怖さと、行政や企業がそれにきちんと対応してない事をしっかりと伝えるための映画をつくり、そのことをわかりやすく伝える。河合氏は、原発が日本に導入され全国展開されていった経緯や、原発の技術的な問題、そして3.11福島の事故について詳しく調べあげた。問題はどこにあるのか、これからどう進むべきか、映画の中でその方向が見えてくるように表現することを心がけたという。

現在、原発訴訟が各地で展開されているが、今では裁判所が「日本と原発」の映画を資料として見てくれるようになったという。一歩も二歩も前進していると河合氏は力強く語る。


第3の法則:「本気で取り組んでいると、誰かが助けてくれる」

 情報をくれたり手伝ってくれる人が出てくるというのである。実際に映画作りもそうして実現できた。  河合氏の、小さいことを積み重ねて大きな動きにしていく運動の法則、それを成立させるものは行動の姿勢(つまり脳の働き)だ。小さな変化でもプラスと考える姿勢、困難の中にも面白さを見出す精神。そして、ユーモア。その精神が映画の中にも表現されており、深刻な映画の中にも笑いが起こる。それが観客の脳をも刺激し、講演終了時には、皆で頑張ろうという気持ちになっていくのである。
 1224日福井地裁は、高浜原発差し止め請求裁判で、4月に出された仮処分を取消し再稼働を認めた。1歩前進2歩後退の状況だ。弁護団長の河合さんは、「このような結果に一喜一憂することなく闘い続ける」という声明を出し、翌25日に名古屋高金沢支部に取消抗告
を申し立てた。


 *この稿は、2016年1月、JADECニュース96号(能力開発工学センター機関紙)に掲載した
  ものである。








2016/10/21

35 まず、やると決める ― 緒方貞子さんの行動の法則


ルールに従うのではなく「やるべきこと」をやる

1991年から2000年までの10年間、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんの行動のしかたには一つの法則があった。やった方がよいと思われるが、そのことを実施するのは非常な困難を伴う、という課題が目の前に示されたとき、それを「やるべきかどうか」と考えるのではなく、まず「やる」と決めてしまうということだ。やると決めてから、そのやり方を考えるということである。

例えば、就任してすぐの19914月に発生した、イラクの一民族であるクルド人難民問題。武装蜂起したが、フセイン政権に追われ大半はトルコに逃れたが、40万人がイラク国内に取り残されてしまった。自国内にいる難民は、「迫害の恐れがあるために国外に逃れ、自国の保護を受けられない人々」という国連で決議した難民条約の定義には当てはまらないため見捨てる、というのが難民高等弁務官事務所(UNHCR)の慣例であった。しかし緒方さんは「支援を行う」と決めた。「国境を越えようと越えまいと、UNHCRは被害者とともにいるべきです」と幹部たちに伝えたという。

 緒方さんは世界中からUNHCRの職員を北イラクに集め、多国籍軍の協力を得て難民キャンプを設置。国連もその活動を認め、30ヵ国からの支援物資、航空機200機、兵2万人の支援活動が展開された。

 92年のボスニア・ヘルツェゴビナでの民族紛争では、国連軍を指揮下におきサラエボに食糧や水の補給をやってのけ、戦争終結後は対立民族が協働して行う事業等、様々な生活再建プロジェクトを立ち上げた。
 

 

「やる」と決めると脳の働き方が違ってくる



緒方さんのこの行動の法則は、大学で国際政治学の非常勤講師をしていた子育て中の彼女が、婦人運動家の市川房江さんから日本代表として国連に3か月間行くことを頼まれたとき、迷う彼女に父の中村豊一さん(外交官:元フィンランド特命全権公使)が、「行くと決めて、あとのことは皆で考えればよい」とアドバイスしたことに始まるという。


まずやると決めるのと、やるべきかどうかを考えてから行動を起こすというのでは、脳の働き方が違ってくる。やると決める場合は、考える内容を「いかにやるか」に絞れるので、具体的な活動に展開するまでが早くなる。まず大きな目標、最終目標を決め、次に、具体的に行動するための条件を整えていく。

 ① 自分の条件を分析し、不足しているもの、障害となるものを洗い出す。

 ② 障害をどうしたら解消できるか、その手立てを考える。

 ③ その手立てを実現するための条件づくりをし、活動する。

手がかり足がかりを探し、つくる。仲間を探すことも重要な要素。そのことを相談できる人、アドバイスしてくれる人、手段を持っている人、教えてくれる人、直接手助けをしてくれる人、物資を提供してくれる人を探し、条件づくりをし、行動を展開していくのだ。
 
 

「やる」と決める基準

緒方さんが「やる」と決めるその決断の基準は、「リスペクト(尊敬・尊厳)」。最も恵まれない人々の尊厳を守ることと、その最も恵まれない人々を守ろうとする人々への尊敬。多くの人々が緒方さんの行動に共感し、心を動かされ、協力するのは、その基準があるからだろう。
我々の日常でも、その困難さゆえにやるべきかどうかを迷うことは、しばしば起こる。(緒方さんとは比べ物にならない些細なことではあるが)そんなとき、この緒方さんの行動の法則を思い起こしたい。
 
*この稿は、2014年12月JADECニュース(能力開発工学センター機関紙)に掲載したもの
 である。
 
 
 
 
 
 
 

2016/09/30

34 相手が変わらないのは自分のせいだと思った方がよい

 表題は、シンクロナイズド・スイミングの名コーチ井村雅代さんが、TV番組のインタビューの中で語った言葉である。
 井村さんは、1984年のロサンゼルスから2004年のアテネまでオリンピック6大会で、日本チームに4つの銀メダルと7つの銅メダルをもたらした名コーチである。アテネオリンピック後は中国ナショナルチームのコーチに就任、6~7位だったチームを北京オリンピックで銅、ロンドンで銀という一流チームに育て上げている。

 井村さんが指導をするうえで最も大事にしていることは次の3つであるという。

  悪いところをその場で指摘する
  ②改善の方法を伝える
  改善したかどうかを伝える
 
 できないことができるようになるということは、いまある行動の修正である。
 ①の、その場で指摘するということは、今ある状態の悪いところを、その行動の記憶のあるうちに「それはダメだ」と指摘するということである。

 そして、その修正の方法を伝える。その伝え方は、ただ足を上げろというのではなく、「そびえたつように足を上げろ」、そして「関節を入れて足を引っ張って」とか「膝のお皿の上にしわをつくれ」と表現する。その言葉から、選手が身体の使い方を具体的にイメージできるようにするのである。選手は、そのイメージに向かって、力を入れるところ、伸ばす方向を工夫していくのである。

 選手の修正行動を観察し、行動が改善されたら井村さんはすかさずそのことを選手に伝える。元日本代表の藤井来夏さんによれば、そうしたとき井村さんは「それっ!」と声をかけるという。「それっ!」と言ってもらえたときの身体の動きを何度も何度も練習する。成功した時の行動回路を繰り返し働かすことによって、行動の記憶が強固になっていくというわけである。
 
 スポーツにおける行動を成立させる要素は、練習だけではない。身体を使う行動は、その身体そのものが行動を成立させる要素となる。中国の選手は足が長いが、皆ほっそりとしていて、水面から高く突き上げる力を生み出す筋肉がついていなかった。中国での井村さんのシンクロの指導は、強くしなやかな筋肉を作るための食事の指導も大きな比重を占めたという。
 井村さんは、できないことをできるようにするのがコーチだという。相手が変わらない(行動を修正できないでいる)のは、自分の選手への働きかけ方がまだ十分でないからだと考えるという。指導者としての自分に対する厳しい姿勢に頭が下がる。
 

 
 
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* 実はこの稿は、2013年8月、JADEC(能力開発工学センター)の機関紙JADECニュース90号に書いたものである。その年、井村さんは中国、イギリスとナショナルチームのコーチを歴任した後、帰国。井村コーチのもと飛躍的に成績を伸ばした中国チーム(北京:銅メダル、ロンドン:銀メダル)、イギリスチーム。一方日本は、成績が落ちる一方、ロンドンではチーム、デュエットともにメダル無しと低迷していたため、彼女の動静が注目されていた。
 6か月後の翌2014年2月、井村さんは日本のナショナルチームのコーチに復帰。
 今年8月、日本はチームで3大会ぶり、デュエットは2大会ぶりにメダル(ともに銅)を獲得した。その鬼コーチぶりが話題になったが、その筋の通った指導の仕方を、ぜひお伝えしたいと思い掲載した。

 


 



 


2016/09/14

33 失敗を修正することによってしか、できるようにならない 

 7年前の最後の回は、失敗に関するもの。再開第1回も同じテーマにしました。
 日本人は失敗がきらいです。失敗しないようにと、行動が委縮しがちです。
 ですから、このテーマについては、何度でも、いろいろな角度から考えてみる必要があると考えています。

★失敗―修正の積み重ねでできるようになる


 行動することによって学ぶなどとよく言われるが、行動すれば即できるようになるかというと、そうではない。始めは、ほとんどの行動の場合失敗する。それを少しずつ修正していくことによって、正しい働き方をするための神経回路が成立し、行動できるようになる。

 たとえば、ご飯の食べ方。生まれたときは、おっぱいを飲むことしかできない。それを時間をかけて、離乳食から幼児食そして大人の食事へと、飲み込み方、噛み方、箸や椀の持ち方使い方を練習していく。歩くことでも同じ。最初は歩くどころか、立てもしない。それが立てるようになり、最初の一歩が出るようになる。手を取ってもらい一歩ずつ、そして一人でよちよち歩きへ。転んでは立ち上がり、立ち上がっては転ぶ。そうしてやがては、走ることもできるようになる。

 できないところから、行動しては、うまくいかないところを修正し、それをできるようになるまで積み重ねる、それが人間の脳の学習の仕方である。

★失敗が人間を賢くする


 「本当は、失敗すると賢くなる」と脳科学者の池谷裕二氏は言う。脳は「ミスした方向には進まないように道を選ぶ性質がある」のだという。脳は失敗したくない。失敗は不快だからである。だから失敗すると、その失敗を修正しようという行動に出る。失敗した行動を避け、別の方法を選択するのだという。

 サルを使った実験によると、失敗したサルの方が記憶の定着が良いという。何回か修正行動がくりかえされるうちに成功する。その修正の過程が記憶されるからである。

 一回でできてしまったことが、その後練習しないでいて、つぎにやってみたらできなくなっていたということを経験したことがあるのではないか。それは、行動を成立させるための神経回路がしっかり成立していなかった、行動の記憶ができていなかったということである。
 行動を成立させるための神経回路をしっかりと成立させることによって、確実に「できる」ということになる。何度も何度も繰り返しやっていると、その分だけ回路に信号が通り、その刺激で軸索が太くなり、しっかりとした記憶回路が成立していく。軸索が太くなると信号も速く伝わる。始めやゆっくりしかできなかったことが、繰り返し練習することによって速くできるようになるというのはそういうことである。

 失敗の修正は、 脳の成長のプロセスと言いかえてもよいかもしれない。

 これまでの教育の方法は、正しい答えを教え、覚えさせるというのが主流であった。教育の効率が良いと考えられてきたからである。失敗させないようにする工夫もしてきた。しかし、脳の学習方法(記憶回路の成立の仕方)がわかってくると、それは考え直す必要があるように思われる。
 うまく失敗させて、それを修正させていく。失敗の要因が自覚できるように失敗させて、自分の行動を自覚的に修正させるようにする。そうすると、盲目的に正しいやり方を繰り返すより、早くできるようになる。それだけでなく、失敗しやすいところに気をつけてやるようになるので、確実に行動できるようになるのである。
  

★エジソンの言葉


 もう少し大きくとらえるならば、失敗を自覚させ、それを修正する方向や手段を見つけ出す、その試行錯誤こそが、人間の成長につながるとも言えよう。
 そういう意味では、うまくいかなかったことを失敗と考える姿勢がいけないとも言える。それは単にうまくいかなかっただけで、成功へのプロセスにすぎないのであるから。その意味で、発明王トーマス・エジソンのこの言葉は、珠玉の名言である。

  「私は失敗したことがない。ただ、一万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ。」









2016/09/12

★7年ぶりです。再開します。

長いことお休みしました。
前回からなんと、7年もたってしまいました。

ブログを休んでいた間、同じタイトルで能力開発工学センターの機関紙JADECニュース(年3~4回発行)には連載していました。(このニュース編集の仕事が結構大変で、ブログにまで力が及ばなかったというのが、正直なところです。)

JADECニュースは今年5月、100号をもって終了しましたので、ブログ再開とします。